こんにちは。
今日は「他人に理想を求めてしまうこと」について考えてみたい。
まずは他人って自分以外の人全員?
となるのだけど、他人の中でもいくつかに分類されると思っていて、
関係値の深い順に
家族→恋人→友人→知人・同僚→会ったことある人(店員さんなど)→顔も名前も知らない(ネット上の人など)
だと個人的に分類している。
私の悪い癖として、友人には理想などがないので迷惑かけられなければどんなことをしていても、
そんな人間もいるよなーぐらいの感覚で流せるし、全然それも個性!のノリで好意的に接することができるのだが、恋人までいくとそうはいかない。
というか、家族(両親)には理想とかもないのに恋人には理想(=こうあって欲しい)を掲げて求めてしまう。
休日や退勤後の過ごし方、お金の使い方、歩き方や食べ方、衛生環境への考え方など。
改めて理想の恋人を掲げてみようと思う。言語化するのは初めてだな~~
・休日や退勤後の過ごし方
平日は主に自己研鑽やスポーツをする。飲み会に行ったとしても泥酔はせずに帰ってくる。
休日は朝から活動的に過ごしている。
・お金の使い方
将来に向けて投資をしつつ、遊びや経験には使う
・歩き方や食べ方など
姿勢を正していて、堂々としている。最低限のマナーは知っている
・衛生環境への考え方
トイレ掃除と水回りは常に綺麗に保つ。
ざっとこんな感じだろうか?上記に掲げている以外にも優しくて~とか、一緒にいて楽しくて~とか色々あるけれど、そこは恋人という関係になっている以上はクリアしているとみなしています。掲げているものは大体が一緒に生活してみないとわからないことかなと・・・。
これを書いていて気づいた。これって自分のありたい、もしくは現在の姿だなぁと。
自分に生活スタイルを全部合わせてくださいと赤の他人に言っているんだね。
そりゃ無理ですよね。反省。
だけど、この理想の姿のすり合わせが上手くいかないと2人で生活なんてできないよなとも思っている。
友達や家族には求めないけど恋人に求めてしまう理由は、
おそらく将来一緒に生活し、人生の苦楽を共にするだろうと想定しているからかなぁ
他人だけど他人ではないところまできているからだと思う。
結婚したら<自分たち>の生活や人生になるもんなぁ。
相手への期待をしないことは大事だとわかっているものの、期待しなくなったら一種の諦めに等しいと思うので、それこそ関係値としておしまいなんじゃないか?思考がぐるぐる。。。
期待をしない、は今の私には難しいので、
・期待をしている自分を認識する
・理想=自分とほぼ同じ人を求めていることであると自覚する
・さすがに自分と全く同じは無理だぞ?逆に気持ち悪いぞ?と冷静になる
・自分にはない相手の尊敬するところを洗い出す
・相手の理想を聞いてみる
この5ステップを行ってみたいなと思う。
特に5番目は整理したことがないので案外面白いかも?
というか、相手に何かを要望されたことがないので、聞くのは怖いけど…笑
人に期待して求める、求めないの差ってなんなんだろう?
器の大きさ?あるべき思考が強いかどうか?
赤の他人が一緒に生活して、共に歩んでいくってすごいなと思います。
あ、本当に全然関係ないけど秋だから芋・栗・かぼちゃのスイーツが食べたいな